横須賀三浦の皆さんこんにちわ。今日はシリーズ:獣医と飼い主のバイアス第2回です。
前回は、私が愛犬の不調を見誤った話をしました。今回は、飼い主さん側に起こりやすい「慣れ」の話です。ある猫さんの手術のお話を通して、お伝えします。
おしっこが出ない、という緊急で
その猫さんは、尿が出なくなる「尿閉」という状態で、当院に来院されました。急いで対応が必要な状態です。かかりつけの病院が休診だったため、当院を頼ってこられたのです。
猫さんは、6歳の男の子でした。
緊急の処置とは別に、私には気になることがありました。この猫さんは、鼻の短い猫種(短頭種)で、鼻の穴が狭くなっていたのです(鼻腔狭窄)。
飼い主さんにうかがうと、これはかかりつけの先生にもすでに指摘されていて、「そのうち鼻翼(小鼻)を切除しましょう」と言われていたそうです。
「大人しい子」の、もう一つの見え方
この猫さんは、とても大人しい子でした。あまり動かない。飼い主さんは、この子のことを「大人しい、そういう性格の子」と話しておられました。
私には、別の見え方がありました。動かないのは、性格ではなく、呼吸の負担をこれ以上増やさないために、動けないからではないか。6歳と若いのに、眠っている間に呼吸が止まり、そのまま亡くなってしまう睡眠時無呼吸の危険もあります。私はそう考えました。
物理で、見えるようにする
そこで私は、物理の法則を使って、飼い主さんに説明しました。
「管の直径が半分になると、同じ量の空気を吸うのに、16倍の力が必要になるんです。それって、裏を返せば、すこーしだけ広げてやれば、めちゃくちゃ息が吸いやすくなって、呼吸が楽になるよってことなんです。」
次の週、当院で鼻翼切除の手術をしました。
手術のあと
効果は、劇的でした。飼い主さんの予想を、はるかに超えていました。
手術のあと、飼い主さんがこう話してくださいました。
「今までは他の犬や猫とは関わらず、離れたところでじっとしていたのが、今では積極的に絡みに行って、今日なんか犬襲ってましたよ。あはは。」
別人のように、大暴れできる猫になっていたのです。変わったのは、性格ではありません。呼吸でした。
何が起きていたのか
手術の前の「大人しい子」は、楽に動けない子だったのかもしれません。この間に、3つのことが重なっていたと思います。
一つ目は、「慣れ」です。 毎日見ている姿が、その子の「基準」になります。ゆっくりした動きも、少し苦しそうな呼吸も、いつの間にか「この子はこういう子」になります。比べる相手がいないと、異常は異常に見えません。
二つ目は、「性格」という説明です。 動きの少なさや行動の制限を、体の問題ではなく、性格のせいだと考える。「うちの子は大人しいんです」。とても自然な説明で、愛情の表れでもあります。
三つ目は、「そのうち」という言葉です。 前の病院の先生は、問題をきちんと指摘していました。それでも、「そのうち切除しましょう」という言い方だと、緊急性は低く聞こえます。人は、先延ばしできる話を、重く受け止めにくいものです。指摘はされていても、伝わり方で、重さが変わってしまう。この猫さんの飼い主さんは、前の病院での説明から、重症度を軽く受け止めていたのだと思われます。
これは、誰かを責める話ではありません。飼い主さんが何かを見逃したわけでもありません。毎日一緒にいるからこそ見えない。それが「慣れ」の仕組みです。気づけなくて、当然でした。
重さが伝わる言葉を選ぶ
この症例で私が心がけたのは、重さが伝わる言葉を選ぶことでした。「そのうち」ではなく、「睡眠時無呼吸の危険」。「息がしにくそう」ではなく、「直径が半分で16倍」。数字や物理は、飼い主さんの中の「基準」を、更新してくれます。
補足:法則の名前を、間違えていました
正直にお話しします。先ほどの説明で、私は「16倍」の話を、「ベルヌーイの定理」という物理法則の名前で、飼い主さんにお伝えしていました。これは間違いでした。管が細くなると空気が通りにくくなる、この関係の正しい名前は、ハーゲン・ポアズイユの法則です。呼吸器の専門の先生のセミナーで教わった内容を、出典を確かめずに、受け売りのまま使ってしまいました。
また「16倍」は、鼻の中の複雑な空気の流れでは、おおよその目安です。名前と数字は間違えていましたが、管を少し広げれば呼吸が楽になる、という考え方そのものは変わりません。
信頼している人から聞いた話を、確かめずにそのまま使ってしまう。これも、人間の癖の一つです。
飼い主さん向け 一言チェック
- 「うちの子は昔からこうなんです」と思っていることを、診察で口に出してみてください。性格だと思っていたことが、体からのサインだと分かることがあります。
- 「そのうち」と言われた話は、「いつまでに」「何が起きたら」を、獣医師に聞いてみてください。
- 気になるときは、かかりつけの獣医師にご相談ください。
次回予告
第3回は、獣医師の側の「何かしてあげたい」気持ちが、判断を動かしてしまった話です。