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愛するがゆえに見えなくなる

横須賀三浦の皆さんこんにちわ。

今日からシリーズで飼い主さんと獣医師が陥る心理的バイアスのお話を私自身の経験談を例に語らせていただきます。少し重い話ですが、私の日々の診療の核に触れる部分でもあるので時間のある時にでもご覧になっていただければ幸いです。

  1. 愛するがゆえに、見えなくなる
  2. 「うちの子は大人しいんです」
  3. 「何かしてあげたい」の落とし穴
  4. 獣医師も例外ではない
  5. 「思ったほど良くならない」をどう扱うか
  6. 直感が真実を言い当てるとき
  7. 失敗を、仕組みに変える
  8. 同じ側に立つために

書き上げるのに一週間かかりました。今日から毎日一つずつ公開していきます。

当院の本棚に、一冊の本があります。『医者は現場でどう考えるか』(ジェローム・グループマン著、石風社、2011年)。医療者が陥る思考の落とし穴を扱った本です。私はこの本を、勉強のためというより、自戒のために置いています。背表紙を見るたびに、ある一頭の犬のことを思い出すからです。

その犬の名前は、作太郎。当院が開業して初めて迎え入れた犬で、13年前に亡くなりました。

今日から始めるこの連載は、獣医師と飼い主さんが、それぞれ、あるいは一緒に陥る「判断の偏り」の話です。誰かを責めるための話ではありません。私自身が何度も失敗してきた経験から、「なぜそうなるのか」という構造を、できるだけ分かりやすくお伝えしたいと思っています。第1回は、私にとって一番痛い失敗から始めます。

4人の散歩

作太郎は、保護犬の柴犬でした。年齢は分からず、去勢していないオスで、フィラリアにも感染していました。もちろん治療をして、家族になりました。

落ち着いた性格の犬で、シニアになってからは、当院に遊びに来る地域猫2匹と仲良くなりました。中年の私と、足取りがゆっくりになった作太郎、そして若くて好奇心いっぱいの地域猫が2匹。この4人で毎日散歩に出るのが、日課でした。

散歩の時間になると、病院でまったりくつろいでいる猫たちが、そわそわし始めます。私が作太郎にリードをつけて外に出ると、猫たちはいそいそと窓から飛び出して、ついてきました。

私たちは、年代も種族も違います。それでも、お互いに居心地の良さを感じていて、通じ合っている。それが、はっきりと分かっていました。

散歩中の作太郎と、前を行く2匹の猫

少しずつ、歩けなくなった

いつからか、作太郎は日に日に弱っていきました。そして、歩けなくなっていきました。

作太郎は、日に日に衰弱していきました。獣医としての私には、これが明らかに病気の症状だと分かっていました。それなのに、飼い主としての私は、お別れの日が近いと思うたびに、辛くて、嫌で、苦しくて仕方がありませんでした。矛盾しているのですが、どちらも本当の私でした。せめて思い出を残したい。そう思って、海に連れて行きました。

海辺を歩く作太郎

血液検査とレントゲンを撮りましたが、異常は見つかりませんでした。私は「そのうち回復するだろう」と考えました。

ところが、衰弱はじわじわと進みました。そして、鼻の穴から、わずかに血が出るようになったのです。

頭の中で起きていたこと

ここで、当時の私の頭の中を、お話しします。

シニアの犬に鼻血が出たら、まず鼻の中の腫瘍を疑う。獣医師にとっては基本です。ところが私は「歯の根の膿(歯根尖膿瘍)か、鼻炎だろう」と思い込み、その考えを疑いませんでした。重い病気を、軽い病気だと見誤ったのです。

今になって思うと、3つのことが重なっていました。

一つ目は、「異常なし」という検査結果です。 血液検査もレントゲンも異常がなかったことが、「重い病気ではないはずだ」という安心を作りました。検査が正常であることは、病気がないことの証明ではないのに、です。

二つ目は、ゆっくりした変化です。 毎日一緒にいると、少しずつの衰えは「いつもの延長」に見えます。異常を「いつもの範囲」と受け止めてしまう心の働きを、心理学では正常性バイアスと呼びます。

三つ目が、一番大きかったと思います。作太郎が、可愛くて仕方がなかったことです。 愛する相手の不調ほど、「大したことはない」と思いたくなります。「今日動かなくても、まだ間に合うだろう」。私は、そうたかをくくっていました。獣医師なのに、です。頭では、これは明らかな病気の症状だと分かっていました。けれど心のほうは、お別れが近づくのが辛くて、嫌で、仕方がなかった。獣医の私と飼い主の私が、同じ体の中で食い違っていたのです。

医療の世界では、身内や知人を診るときに判断が甘くなる現象を、「VIP症候群」と呼ぶことがあります。獣医師も例外ではありません。いちばん身近な家族の診療ほど、私たちはいちばん冷静になれないのです。

地獄のような時間

やがて作太郎は立てなくなり、出血が止まりにくい状態になりました。血が止まりにくくなる全身の状態、DIC(播種性血管内凝固)という、末期の状態でした。

大学病院に精査をお願いしましたが、予約が取れたのは2週間後でした。当時はMRIを撮れる施設が少なく、世田谷の施設にも行きましたが、診断はつきませんでした。苦しむ作太郎のそばで、私は地獄のような時間を過ごしました。

次の写真には、出血の様子が写っています。ご覧になりたくない方は、飛ばしてください。

看護中の作太郎

大学病院でようやく分かったのは、鼻の中の腫瘍でした。その日のうちに放射線治療を入れてもらいましたが、すでに遅く、翌日、作太郎は私の隣で亡くなりました。大学病院で、私は大泣きしてしまい、研修医の先生がもらい泣きをしてくださいました。

亡くなったあとの病理診断は、鼻腔内メラノーマ。非常にまれな悪性腫瘍でした。

実際の病理検査報告書です。飼い主の名前、番号、日付などは、黒塗りにしています。

作太郎の病理検査報告書。診断は悪性黒色腫

メラノーマは、免疫が過剰に反応して炎症を強めてしまい、この病気にかかった子がひどく苦しむことのある病気です。獣医として、そのことを知っているからこそ、作太郎のあの苦しみが、私の後悔をいっそう重くしています。

同じ構造は、大学病院にも

後日、大学病院の先生がこう話してくださいました。「柴犬は鼻の中の腺癌が多いので、緊急性は低いと思い、予約が遅れた。すまない」と。

この先生を責める話ではありません。確率の上では、理にかなった考え方です。ただ、私は気づきました。「一般的な傾向」を、目の前の一頭にそのまま当てはめてしまう。これは、私の「歯根尖膿瘍だろう」と、同じ構造です。専門家であっても、一度頭に浮かんだ「もっともらしい答え」からは、離れにくいのです。

二重の苦しみ、そして一つの注意

飼い主として、そして獣医として、取り返しのつかないことをしてしまった。そう思い、二重に苦しみました。しばらくのあいだ、重度のペットロスの状態が続きました。

作太郎が亡くなったあと、お散歩チームは解散し、お別れになってしまいました。

ひとつだけ、お伝えしておきたいことがあります。結果を知っている今の私から見ると、「鼻血が出たら腫瘍を疑う」は、とても簡単な判断に見えます。けれど、当時の私にとっては、そうではありませんでした。結果を知ってから過去を振り返ると、判断が実際より簡単に見える。これも人間の癖で、「後知恵バイアス」と呼ばれます。もちろん、私の判断に誤りがあったことは変わりません。ただ、後悔と、判断の構造を理解することは、分けて考える必要があります。

この連載で、お伝えしたいこと

  • 判断の偏りは、「悪い人」の問題ではなく、人間の脳の仕様です。
  • 愛情が深いほど、判断は偏ります。飼い主さんにも獣医師にも、同じように起こります。
  • 人は、同じ失敗を繰り返します。それでも、構造を知っていれば、悲劇は減らせます。

この経験は、その後の私の診療を変えました。その話は、第7回でお伝えします。

飼い主さん向け 一言チェック

毎日見ているからこそ、ゆっくりした変化は見えにくくなります。気になる様子は、写真や動画で記録して、1か月前と見比べてみてください。

次回予告
第2回は、「うちの子は昔から大人しいんです」という言葉の話です。慣れが、異常を「普通」に変えてしまう場面を、ある猫さんの手術のお話とともにお伝えします。