お知らせ News
つぶやき

獣医師も例外ではない

横須賀三浦の皆さんこんにちわ。シリーズ獣医と飼い主のバイアス第4回です。

前回までは、愛情や親しさが判断を動かす話をしてきました。今回は、獣医師が、専門家であるがゆえに陥る偏りの話です。知識が多いほど、答えは早く浮かびます。そして、一度浮かんだ答えからは、離れにくくなります。

日が暮れてから来た、呼吸困難のチワワさん

なぜか、診療時間の終わり近くに、緊急の患者さんが来ることが多くあります。その日も、日が落ちてから、呼吸困難のチワワさんが来院されました。16歳の男の子でした。

飼い主さんのお話では、3か月前に、他の病院で肺水腫のために入院しました。心臓病の治療を続けていたが、また同じような呼吸困難になった、とのことでした。肺水腫とは、肺に水がたまって、息ができなくなる状態です。心臓病のある小型犬で、よく見られます。

答えは、一瞬で決まった

酸素を吸わせ、水を出す薬(ラシックス)を静脈に入れ、体に負担の少ない姿勢でレントゲンを撮りました。肺が、白く写っていました。

16歳、小型犬、心臓病、前回は肺水腫、今回も同じ呼吸困難、肺が白い。材料はすべて、「肺水腫の再発」を指していました。私は、そう思い込みました。それ以外の選択肢が、頭から抜けていたのです。

レントゲン写真を見た瞬間、見立て通り、肺水腫の再発だと確信しました。他の鑑別は思い浮かばなかったのです。

緊急時でした。頭は、次の処置でいっぱいになっていました。

翌日、残った違和感

翌日までに、呼吸は安定しました。けれど、私には、水があまり抜けていないように感じられました。

そのとき、たまたま、別の重症の患者さんのために用意していた、強い抗菌薬(メロペネム)がありました。念のため、感染の予防として、この子にも投与しました。すると、状態が大きく改善したのです。

あらためて心臓の超音波検査をすると、心臓の右側が大きくなり、肺につながる血管(肺動脈)も広がっていました。肺水腫という見立てだけでは、説明しきれない所見です。この子は、肺水腫ではなく、肺炎だったのです。

当日の心エコー画像です(個人情報は除いています)。

チワワさんの心エコー(カラードプラ)

炎症の強さを示す血液の数値(CRPなど)が低かったことも、気づきにくくなっていた理由の一つでした。

何が起きていたのか

一つ目は、前の診断のバトンです。 「3か月前に肺水腫」という前の病院の診断と、飼い主さんの「また同じです」という言葉が、そのまま、私の出発点になりました。これは、飼い主さんが悪いのでも、前の病院が悪いのでもありません。事実として伝えられた情報が、仮説ではなく結論として、頭に入ってしまう。診断が、次の人へ、バトンのように渡されていくのです。

二つ目は、材料が全部そろって見えることです。 一度「肺水腫だ」と思うと、「肺が白い」「息が苦しそう」という所見が、すべて、その答えを裏づけているように見えます。実際は、肺が白く写るのは、肺炎でも同じです。自分の考えを支える情報ばかりが目に入ることを、心理学では確証バイアスと呼びます。

三つ目は、「異常なし」の読み違いです。 炎症の数値が低かったので、「感染ではないだろう」と考えました。第1回の作太郎を思い出してください。血液検査もレントゲンも異常なしで、私は安心してしまいました。検査の結果が正常だったことは、病気がないことの証明ではありません。それなのに、「異常がない」を「大丈夫」へ、簡単に読み替えてしまうのです。

この夜の状況も、無関係ではなかったと思います。 日が落ちたあと、診療時間の終わり近く、獣医師は私一人。緊急時は、経験を積んだ獣医師ほど、体が先に動きます。それは命を救う力であると同時に、立ち止まって考え直す余地を狭める力でもあります。疲れや時間の圧力でも、判断力は落ちます。偏りは、その人の性格だけでなく、環境でも増えるのです。

鏡のように

第1回の作太郎は、本当は腫瘍だったのに、私は「歯根尖膿瘍だろう」と思い込みました。第3回の猫さんでは、リンパ腫の治療を進める中で、歯根尖膿瘍が原因と思われる敗血症が起きました。

同じ「歯根尖膿瘍」という言葉が、正反対の形で、現れています。目の前の仮説に集中していると、別のリスクは、視界から薄れやすくなります。専門家であっても、いえ、専門家だからこそ、一度浮かんだ答えから、離れにくくなるのです。

結末と、偶然に頼らないこと

チワワさんは、8日間の入院のあと、回復して退院しました。8か月後、腎臓を悪くして亡くなりました。あの子と過ごせた8か月は、立て直せたからこそ得られた時間だったと、私は思っています。

この症例で、私が助けられたのは、「水があまり抜けていない」という違和感を、見過ごさなかったことと、偶然の一本でした。偶然に頼らずに、違和感を拾うにはどうしたらよいか。それは、第5回と第7回でお話しします。

飼い主さん向け 一言チェック

  • 「前と同じです」と伝えるときは、「前と違う点」も一緒に伝えてください。呼吸の音、熱っぽさ、食欲など、小さなことで構いません。
  • 診察で、「他に考えられる病気は、ありますか」と聞いてみてください。失礼な質問ではありません。
  • 検査の結果が「異常なし」でも、症状が続くときは、そのことを獣医師に伝えてください。

次回予告
第5回は、治療の途中で起こることです。「思ったほど良くならない」という違和感を、どう伝え、どう受け止めるか。チワワさんの続きとともに、お話しします。