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「何かしてあげたい」の落とし穴

横須賀三浦の皆さんこんにちわ。今日はシリーズ:獣医と飼い主のバイアスの第3回です。

第1回は、病気を軽く見すぎた失敗でした。今回は、その反対の、重く見すぎた失敗の話です。判断が偏るのは、軽く見るときだけではありません。心配や好意が強いほど、「何かしてあげたい」という気持ちが、判断を前へ押し出してしまうことがあります。

食べて2分で、吐く

約2年前のことです。当時12歳の、キジトラの男の子の猫さんが来院されました。体重は5.5kg。食べて2分ほどで吐いてしまう。体重が減っている。ときどき、血が混じることもある。そういう症状でした。

私は、胃腸にできるリンパ腫を疑いました。リンパ球という細胞のがんで、こうした症状の猫では、頭に置いておくべき病気です。

腹部のエコー検査とレントゲン検査をしましたが、異常は見つかりませんでした。

確かめる方法は、ありました

リンパ腫かどうかをはっきりさせるには、お腹を開けて組織を採り、顕微鏡で調べる方法(試験開腹)があります。診断を確定してから治療を決める、という道です。

けれど私は、その提案をしませんでした。

当院には、内視鏡がありません。確定診断の方法として、私は試験開腹を、説明の一部としてお話ししました。けれど、ご予算に限りがあるというお話もあり、飼い主さんは、難色を示されました。そのとき私は、それ以上お勧めしませんでした。「経済的にも精神的にも、負担が大きいだろう」と、飼い主さんのお気持ちに、合わせてしまったのです。

分かっていても、迷いは消えなかった

確定診断のないまま、抗がん剤を使う。それが、獣医療の倫理として問題を含むことは、当時の私も、当然分かっていました。抗がん剤は劇薬で、使ったあとの患者さんのリスクも、よく知っていました。

それでも、確定診断をつける方法は、試験開腹しか思い当たりませんでした。非常に悩みました。使った場合のリスクと、使わなかった場合のリスクを、何通りも予測しました。そして、使わなかったほうが、後悔するのではないか。そう思いました。

この飼い主さんとは、気心の知れた、親しい間柄でした。だから私は、その葛藤を全部打ち明けました。飼い主さんも、そのうえで合意してくださいました。こうして、リンパ腫の治療に使われる、COP療法という抗がん剤の組み合わせを、すぐに始めました。

1回目のあとに起きたこと

1回目の投与のあと、猫さんには強い嘔吐の副作用が出て、脱水のために入院になりました。さらに、歯の根元の膿(歯根尖膿瘍)が原因と思われる敗血症も起こしました。敗血症とは、細菌が血液に回り、全身が重い状態になることです。

抗がん剤を避けたいと考えていた奥様は、強くお怒りになりました。

猫さんが回復してから、歯石を取る処置(スケーリング)を行い、約2週間で退院しました。その後は、奥様のご意向で、抗がん剤は使わないことになりました。吐き気を抑える薬と、人用の流動食を中心にした内科の治療に切り替え、体重は5.8kgほどまで戻りました。

ところが、体重が戻って1か月ほどたったころ、飼い主さんは、来院されなくなりました。

来院が途絶えたとき、私は、初めのうちは、リンパ腫と誤診してしまったのかもしれない、申し訳ないことをした、と感じていました。

しかし、体重は戻り、症状も改善していたので、もしかすると、本当にリンパ腫だったのかもしれない、という考えも、頭をよぎりました。けれど、奥様を怒らせてしまった以上、病気を証明できない限り、もう抗がん剤は使えないだろう、と予測していました。どちらなのか、この時点では、私にも分かりませんでした。

何が起きていたのか

分かっていたのに、迷いは消えませんでした。ここには、3つのことが重なっていたと思います。

一つ目は、「使わなかったら、後悔する」という予想です。 人は、決める前に、「この選択で悪い結果になったら、どれだけ悔やむか」を想像します。これを予期後悔といいます。私は、「使わずに病気が進んだら、悔やむだろう」と予想しました。その予想が、治療を選ぶ方向へ、背中を押しました。そこには、「何かしてあげたい」という行動バイアスも、混ざっていたと思います。

二つ目は、親しさです。 気心の知れた、好感の持てる飼い主さんだからこそ、悪い結果にしたくない。心配が大きいほど、選択は、治す方向へ傾きます。ただ、同じ親しさが、葛藤を全部打ち明けられる土台にもなりました。

三つ目は、「忖度」です。 試験開腹は、説明の一部としてお話ししていました。けれど、飼い主さんが難色を示されたとき、私は、そのお気持ちに合わせてしまいました。相手の意向を推し量って合わせることは、思いやりに見えて、診断へ向かう道を、一つ閉じてしまうことがあります。

分かっていても、偏りは働きます。知識があることと、偏りが消えることは、別の話です。だからこそ、一人で決めない。葛藤を言葉にして、相手と共有する。それが、偏りを減らす、数少ない方法の一つだと思います。費用のことも含めて、選択肢を、獣医師と飼い主さんが一緒にテーブルに並べる。この症例で私が一番学んだのは、そのことでした。

結果は、まだ分かりません

この時点で、私の判断が正しかったのか誤っていたのかは、まだ分かりません。この猫さんの続きは、第6回でお話しします。

ただ、結果がどうであれ、この症例は、「分かっていても偏る」ことを、私に教えてくれました。

飼い主さん向け 一言チェック

  • 費用や負担のことも、遠慮せずに獣医師に話してください。そのうえで、「選べる方法を、全部教えてください」と聞いてみてください。
  • 「できることは全部やってほしい」と思ったときほど、「何のために、何を調べるのか」を聞いてみてください。
  • 治療に不確かさがあるときは、「使う場合と使わない場合で、それぞれ何が起こり得ますか」と聞いてみてください。

次回予告
第4回は、獣医師も例外ではない、というお話です。第1回に出てきた「歯根尖膿瘍」という言葉が、また登場します。